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アパルトヘイト

アパルトヘイト

1948年から1994年まで行われていた、人種隔離政策。

白人と有色人種の場所や待遇を分ける政策で、白人が非常に優遇された。

差別されていたのは黒人だけではなく、黄色人種も差別対象となっていた。

具体的な内容

バンツースタン政策(ホームランド政策)

sバンツースタン政策.jpg

南アフリカ政府は、国内に「黒人のための国」をわざわざつくり、「別の国」として独立させた。そして、黒人をそこに住まわせた。こうして作られた国を「ホームランド」という。

黒人はホームランドの国民ということになり、制度上南アフリカ国民ではなくなった。

南ア政府からすれば、黒人は外国人であるということになり、黒人差別政策を正当化することができた。

なお、ホームランドは国際的に承認されなかった。

sSouthafricanhomelandsmap.jpg 色付きの部分がホームランド

人種隔離

公共施設や交通機関、学校、住宅、劇場など、社会のあらゆる場所で白人用の区画と有色人種用の区画が区別され、有色人種は不利な扱いを受けていた。

sApartheidsignstrainstation.jpg (鉄道駅の入口。左が非白人、右が白人専用)

廃止

あまりにも露骨で苛烈な差別政策であったため、国際的な評判は最悪であった。

1980年代には各国から経済制裁を受けるようになったが、日本は資源確保のため貿易を続け、南アにとって最大の貿易相手国となった。

さすがに耐えきれなくなって1994年に廃止され、廃止に貢献したデクラークとネルソン・マンデラはともにノーベル平和賞を受賞した。

F._W._de_Klerk_and_Nelson_Mandela_in_Philadelphia_1993.jpg (左がデクラーク、右がマンデラ)

補足~日本との関係

資源がない日本は、南アフリカから大量の資源(石炭、鉄鉱石、白金、ダイヤモンドなど)を輸入していた。

そのため、日本人は「名誉白人」として扱われ、白人とほぼ同様の待遇を受けることができた。

1980年代以降、アパルトヘイトに対する国際的な批判が強まると、各国は南アに対して経済制裁を強くした。

一方日本は相変わらず南アとの貿易を続けたので、一時日本は最大の輸出相手国となった。これに対し国際的な批判も大きかった。

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