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磐井の乱


概要

磐井の乱とは、筑紫国造磐井が新羅と協力して古墳時代に起こした反乱。 この乱の平定により、ヤマト政権は西日本支配を完成させました。

詳細

磐井の乱が起きた理由は ヤマト政権と朝鮮半島の関係が重要になってきます スクリーンショット 20221001 11.19.57.png 当時のヤマト政権の支配は、伽耶諸国まで及んでいました。

しかし百済が任那を侵略し、ヤマト政権に対して「任那を渡せ」と要求してきたのです。 スクリーンショット 20221001 11.20.29.png こうなると新羅は「俺も任那が欲しい」と考えて任那に侵攻していきます。 スクリーンショット 20221001 11.20.49.png 百済と新羅の台頭により、いつの間にか任那はたくさんの領土を削られてしまったのです。

この状況を見たヤマト政権はどうしたかというと「任那を取り返そう」と決意しました。 この仕事を任されたのが近江毛野という人物でした。 近江毛野は新羅に取られた領土の奪還のため朝鮮半島へと向かっていきます。

ここで新羅は今でいうところの福岡にいた筑紫野君磐井に賄賂を送り「近江毛野が海を渡るのを妨害してくれ」と頼みます。 こうして起きたのが磐井の乱です

この戦いに磐井は敗北。 ヤマト政権は九州に進出し、西日本支配を完成させました。

補足

福岡県八女市にある岩戸山古墳は、磐井の墓と考えられています。

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