日本文学史マスターへの道⑲
日本文学史マスターへの道
『土佐日記』
〔『土佐日記』 尊経閣文庫所蔵。藤原定家臨書の部分。1235年書写。国宝〕
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《確認ポイント》
✔︎紀貫之
✔︎女性仮託
✔︎仮名文字の散文
《書名》
『土佐日記』
『土左日記』とも書き、『とさのにき』と呼ばれていたらしい。
《作者》
紀貫之
平安時代の代表歌人で、理知敵技巧的に優れた歌を詠んだ。
『古今和歌集』の撰者でもあり、
その中でも「仮名序」は歌論の先駆けとして評価されている。
〔紀貫之(菊池容斎画『前賢故実』)
《成立過程》
紀貫之が土佐国から承平5(935)年2月16日に帰京したのちに、
旅中の覚書をもとにして書かれ
935年後半頃の成立と考えられている。
《表現》
仮名文字を用い和文体の表現力を活かし、
微妙な心の動きや情景を鮮やかに描いている。
和文体に漢文体を混ぜ込んだ簡潔で平明な文体である。
場面に応じて取り入れられた会話や皮肉や滑稽、
地の文に融合された57首の和歌が表現を豊かにしている。
《構成》
旅日記とも言われるが、
その所以は、紀貫之が土佐国での任期が終了し、
承平4(934)年12月21日に国司の館を出発し、
船旅し、翌年2月16日に帰京し自邸に帰るまでの
55日間にわたる旅について書いてあるから。
《55日間の構成》
55日間の間1日も欠かさず、日次の記の形を成しており、
57首の和歌と歌論を含んでおり、かなの散文形式である。
女性が書いたように装って、自己を客観化して記されている。
大まかな内容は、
- 出発の時の送迎の様子
- 船中での人々の言動
- 通り過ぎゆく自然の景観
- 人々が読んだ和歌への批評
- 古歌への感慨
- 海賊や風波への不安と恐怖
- 望郷の念
- 帰京の感懐
である。
土佐国で亡くした娘への哀惜の情が作品の根底に流れている。
ただし、根底にある感傷に流されるのではなく、
世間への風刺や皮肉、軽妙な滑稽を交え、
ユーモアに満ちた仕上がりとなっている。
作者は、誠実さを高く評価し、
功利主義や軽薄さを批判する姿勢をとっている。
《史的意義》
平安時代の旅日記は貴族の備忘録のため公的な日記であり漢文体かつ類型的文章であったが、
『土佐日記』は感情や情景を自由に表現する和文体を用い、
平仮名による和文日記を書いたこと。
《女性仮託?》
紀貫之は和歌の主導的立場にいたため、
作者である自分を女性に仮託することで、
男性の公的な場を離れ、自由な立場から虚構を描いた。
それが『土佐日記』の持つ私的で創作的な性格を生み、
文学史上に自照性の強い日記文学が生まれることにつながる。
《「男手」と「女手」》
真名と呼ばれる漢字の楷書・行書のことを「男手」「男文字」と言い、
仮名を「女手」「女文字」という。
女が使う文字という意味を持つ「女手」は、和歌や手紙を書く際に使われる。
《文字の発展プロセス》
中国伝来の漢字を使い万葉仮名が出来、
奈良時代には楷書・行書で書かれた。
平安時代に入り、草書で書くようになり、
これを草仮名ともいうが、さらに崩した形の平仮名が誕生した。
《『土佐日記』冒頭》
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。
そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてて
例のことども皆しをへて、
解由など取りて住むたちより出でて船に乘るべき所へわたる。
かれこれ知る知らぬおくりす。
年ごろよく具しつる人々なむわかれ難く思ひて
その日頻にとかくしつつののしるうちに夜更けぬ。