日本文学史マスターへの道㉝
日本文学史マスターへの道
世阿弥
《確認ポイント》
✔︎父は観阿弥
✔︎世阿弥の改革
《世阿弥の父》
観阿弥
観阿弥は観世座の創始者で、
大和猿楽の結崎座で棟梁のシテとして活躍し、
今熊野神社で足利義満に認められ、
子の世阿弥とともに庇護を受ける。
《観阿弥の改革》
- 芸風の転化
- 歌舞性の強化
- リズムの導入
- 新音曲と作劇
など大和猿楽に大きな変革を実現させた
《世阿弥》
12歳の時に今熊野神社の勧進能で足利義満に美しさを愛され庇護を受ける。
当時流行していた連歌の教養を身につけ、
新たな能を演じ、
父の観阿弥の死後は観世二代目大夫として観世座を率いた。
観阿弥が変革を行った猿楽の能に、近江猿楽の犬王の優美な芸風を取り入れることで、古典文学を題材として歌舞中心の洗練された芸能性高い能を完成させた。
足利義満の死後は、後継者の長男元雅が伊勢で客死し、
世阿弥自身も足利義教の迫害を受け佐渡に流される運命となり、晩年の消息は不明。
《世阿弥の改革》
大和猿楽伝等の物真似本位を幽玄の能への転換を図り夢幻能を確立させ、
そのほかに
- 歌舞能の定型化
- 主役中心主義
- 能体系の理論化
といった改革を行なった。
《世阿弥の作品》
謡曲
- 『高砂』
- 『老松』
- 『清経』
- 『井筒』
- 『砧』
- 『班女』
- 『鵺』
- 『融』
能楽論
- 『花伝』
- 『花鏡』
- 『猿楽談義』
『花伝』
応永7(1400)年ごろ成立したとされ、
能の美である「花」を追求し、
年齢相応の稽古方法・演出方法を述べた能楽論書のこと。
風姿花伝とも言われる。
『花鏡』
応永31(1424)年に成立したとされ、
長男元雅に与えた能楽論書で幽玄についてや
初心を忘れてはいけないという内容が書かれる。
『猿楽談義』
永享2(1430)年に成立したとされ、
世阿弥の談話を長男の元雅が筆録した体裁となっており、
能の歴史や近江と大和の芸風の違い、
能批評などが書かれた能楽論書。
《世阿弥の理念》
幽玄を能の理想美と考え、
それが舞台で実現されることを「花」と呼んだ。
「花」は観客が見て美しいと思う感動を指し、
能の役者が観客を魅了する芸のことも意味する。
世阿弥は役者は努力と研鑽を積み稽古に励み「まことの花」を得なければならないと『花伝』で説く。