日米和親条約
概要
日米和親条約とは、江戸時代末期に日本とアメリカが神奈川近くの横浜村で調印した条約。 別名神奈川条約。
詳細
江戸時代末期。
アメリカは太平洋を渡る際に、日本で燃料を補給したい考えていました。
こうしてアメリカから日本に派遣されたのがペリーです。
浦賀に到着したペリーは久里浜に上陸し、アメリカ大統領からの手紙を渡しました。
その手紙でアメリカは日本に対して
- 日米の友好
- 日米の貿易
- 石炭と食料の供給
- 難破したアメリカ国民の保護
を要求しました。
これに対して江戸幕府は翌年の回答を約束してペリーを一旦退去させます。
しかしペリーは1年を待たずに再びやってきて横浜に上陸し、強く開国を迫りました。
こうしてアメリカのペリーと幕府の役人である林復斎の間で話し合いがもたれ、条約が結ばれます。
こうして結ばれたのが日米和親条約です
この条約の主な内容は
- 日米間の永代不朽の和親
- 下田・箱館の開港
- 漂流民の救済と必需品の供給
- 最恵国待遇の供与
- 領事駐在権の容認 といった内容でした(※1)
補足
(※1)日米和親条約では通商は保留となりました。 なのでアメリカは引き続き、日本との通商を目指していきます。 こうして日米修好通商条約へと話がつながっていくのです。
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