日本文学史マスターへの道「松尾芭蕉」
日本文学史マスターへの道
松尾芭蕉
芭蕉の記念館は数多い、いくつか挙げると
芭蕉記念館_江東区
山寺芭蕉記念館_山形市
大垣市奥の細道むすびの地記念館_岐阜県大垣市
行かなくとも、見てみて!
《経歴》
伊賀上野(三重県)に生まれる。
【貞門・談林時代】
北村季吟に指導を受けていた嗣子良忠に仕えたことが理由で、貞門俳諧に親しんだ。 江戸に下向したのち、談林派の俳人との親交によって、談林俳諧に親しむことになる。 貞門から談林へと移行していく時期があった。
【虚栗調時代】
談林俳諧に限界を感じたため、漢詩文に親しんだが、俳諧撰集『虚栗』の刊行によって、蕉風の1段階前にあたる虚栗調に親しんだ。
【蕉風確立時代】
芭蕉庵が燃えてしまい、一時、甲斐国に住んでいたが、再建されたのちも定住せずに、『野ざらし紀行』の旅に出る。 『鹿島紀行』・『笈の小文』など旅を行い、俳諧理念の「風雅」や旅への考えを深めていく。 『更級紀行』・『奥の細道』の旅に出て、「不易流行」「風雅の誠」といった蕉風の理念を作り上げ、蕉風を確立させていった。
【蕉風完成時代】
漂泊は泊まることなく続き、俳諧撰集も刊行する。
- 「わび」:俗世間を離れ、しみじみとした趣のこと
- 「さび」:作者の奥ゆかしさが身じみでる趣のこと
- 「しをり」:余剰によって深い哀感を表す趣のこと
- 「ほそみ」:繊細な感受性により反映される趣のこと
- 「かるみ」:「さび」をさらに高めたもの
さらに理論を確立させ、蕉風が完成に至る。
《作品》
大きく、俳諧撰集と俳諧紀行文に分かれる。
【俳諧撰集】
-
『冬の日』
-
『春の日』
-
『曠野』
-
『ひさご』
-
『猿蓑』
-
『炭俵』
-
『続猿蓑』
【俳諧紀行文】
-
『野ざらし紀行』
-
『鹿島紀行』
-
『笈の小文』
-
『更級紀行』
-
『奥の細道』