バビロン第一王朝
概要
「オリエント最初の統一王朝」である古代バビロニア王国について。
アムル人がおこし、ハンムラビ王の時に最盛期を迎え、ヒッタイト人に滅ぼされます。
まとめ→オリエント
場所
時代
前18世紀ごろ〜前17世紀ごろ
解説
2本の川(ティグリス川、ユーフラテス川)が通るメソポタミア地方は、比較的肥沃な地域だったことから農業が発達し、集落も生まれるようになります。
初めに繁栄したのはシュメール人でしたが、それを征服したのがより西の地域で繁栄していた アッカド人 で、前24世紀ごろ各地の都市国家を統一し領域国家を作り上げます。
しかしそれもすぐに崩壊、力を持ったのはアムル人で、古代バビロニア王国をおこします。(山川教科書などではバビロン第一王朝との表記になっていますが、同じ王朝を指しています。)
ハンムラビ王の時に最盛を迎え、かの有名な「目には目を、歯には歯を」の復讐法などを通じた神権政治でメソポタミア全域をおさめます。
文明も発達し、楔形文字や六十進法、太陰太陽暦の使用、発明なども行われました。
ただ使っていた金属器は銅器や青銅器で、早くから鉄製の武器を使ったヒッタイトに滅ぼされてしまいます。
ただそのヒッタイトの支配は小アジアにとどまり、ミタンニ王国やカッシート人の領域も並立する時代となりました。
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