日本文学史マスターへの道【付録】⑤『古今和歌集』代表歌人
《六歌仙時代》
〔六歌仙〕
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
〔僧正遍昭(狩野探幽『三十六歌仙額』)〕
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俗名:良岑宗貞(よしみねのむねさだ)
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桓武天皇の孫、仁明天皇に仕え、仁明天皇の死により出家し、天台宗の高僧となる。
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軽妙洒脱で知的な歌風
在原業平(ありわらのなりひら)
〔在原 業平〕
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平城天皇の皇子である阿保親王の子で、『伊勢物語』の主人公かと疑われている。
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漢学は十分でなかったが、和歌の才能を発揮。
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表現技法に優れ、情熱的な歌風
文屋康秀(ぶんやのやすひで)
〔文屋康秀(百人一首より)〕
- 文琳とも言われ、小野小町を誘っているということもあるらしい?
喜撰法師(きせんほうし)
〔喜撰法師(百人一首より)〕
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「我が庵は京都の巽しかぞ〜」の歌1首のみ『古今和歌集』に載る。
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歌人としての評価は高くなかったらしい。
小野小町(おののこまち)
〔小野小町(鈴木春信画)〕
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出自・履歴は不明な点が多いが、絶世の美女として伝説化されている。
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情熱的な恋の歌が多く、『古今和歌集』を代表とする女流歌人。
大友黒主(おおとものくろぬし)
〔大友(大伴)黒主〕
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弘文天皇の末裔で、近江国の豪族。
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光孝・醍醐両天皇の大嘗会の歌を詠んだ。
〔そのほか〕
在原行平(ありわらのゆきひら)
〔在原行平像〕
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平城天皇の皇子である阿保親王の子で、在原業平の異母兄にあたる。
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現存最古の歌合『在民部卿家歌合』を主催した。
藤原敏行(ふじわらのとしゆき)
〔藤原敏行(狩野尚信『三十六歌仙額』)〕
- 書にも優れており、能書家としても知られる。
大江千里(おおえのちさと)
〔大江千里(百人一首より)〕
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漢学者でもあり、家集『句題和歌』がある。
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『句題和歌』は「千里集」とも言われ、白居易などの唐代詩人の詩句を翻訳した和歌から成る。
《撰者時代》
〔撰者〕
紀友則(きのとものり)
〔紀友則(百人一首より)〕
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紀貫之の従兄弟で、儒学の学識によって宇多天皇・醍醐天皇に仕えた。
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紀貫之よりも早くに頭角を表したが、『古今和歌集』完成を前にして、死去。
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格調のある穏健、流麗・優美な歌風
紀貫之(きのつらゆき)
〔紀貫之(菊池容斎画『前賢故実』)〕
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仮名序を作成し、和歌の復興を高らかに宣言し、『土佐日記』も執筆した。
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見立て技法などに基づく理知的な歌風
→古今集時代の和歌表現を方向付けることになる
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
〔凡河内躬恒(百人一首より)〕
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身分が低く、地方官を転々としたらしい。
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和歌の才能には優れており、紀貫之と並称された。また、書の才能もあったらしい。
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機知的でやや奔放な歌風
壬生忠岑(みぶのただみね)
〔壬生忠岑(菊池容斎画『前賢故実』)〕
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凡河内躬恒と同様に身分は低かったが、歌才を発揮した。
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紀貫之とは別に仮名序を作成した。
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紀貫之や凡河内躬恒に比べると、穏やかなで温和な歌風である。
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子の壬生忠見(みぶのただみ)も有名な歌人。
〔そのほか〕
素性法師(そせいほうし)
〔素性法師(狩野探幽『三十六歌仙額』)〕
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俗名:良岑玄利(よしみねのはるとし)
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僧正遍昭の子で、若くから和歌を嗜み、僧の身でありつつも宇多天皇・醍醐天皇の時代に歌人として活躍。
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移りゆく自然への執心を歌った季節詠に特徴がある。
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機知的で軽妙な歌風
→撰者時代の作風を先取りするもの
在原元方(ありわらのもとかた)
- 在原業平の孫。
伊勢(いせ)
〔佐竹本三十六歌仙絵巻より〕
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宇多天皇の更衣として、寵愛を受けた。子の中務も有名歌人。
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『古今和歌集』では、小野小町と並んで有名な女流歌人。家集『伊勢集』がある。
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女流唯一の晴(非日常・公的・聖)の歌の作者。
*晴の対概念として「褻」(日常・私的・俗)がある。
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情熱的な歌風