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鎌倉時代


概要

鎌倉時代とは1185年の守護・地頭設置(※1)から1333年の鎌倉幕府滅亡までの時代。

詳細

鎌倉時代は前半と後半の2つに分けて考えると理解しやすいです。 前半は源氏による政治、後半は北条氏による政治となっています。 画像1.jpg

前半の終わり頃に承久の乱が起こり、後半の終わり頃に蒙古襲来や元弘の乱が起こりました。 画像2.jpg 「政治→戦い→政治→戦い」という大きな流れを理解しましょう。

前半(源氏)

鎌倉幕府を開いたのは源頼朝です。 源頼朝.jpg 頼朝の死後、鎌倉幕府は混乱していき、将軍はただの飾りとなりました。 この混乱の中で力をつけてきたのが北条氏です。こうして政治の実権は北条氏が握るようになっていきます。

承久の乱

一方この頃、朝廷としても幕府に政治の実権を奪われたので面白くありませんでした。 当時、朝廷のトップだったのが後鳥羽上皇です。 後鳥羽上皇.jpg 後鳥羽上皇は、「幕府が混乱している今がチャンス」と考えて、幕府に奪われた政治の実権を朝廷に取り戻そうとしました。 この戦いが承久の乱です。 この戦いに朝廷が敗北したことで、幕府の優位が確定しました。

後半(北条氏)

こうして朝廷に勝利した鎌倉幕府は北条氏によって統治されていきます。 この北条氏による統治は比較的安定していました。しかし、モンゴルから軍勢が攻めてきたことにより再び戦乱の世の中へと入っていくのです。

蒙古襲来と元弘の乱

モンゴル軍の襲来を「蒙古襲来」もしくは「元寇」と言います。 蒙古襲来は2回行われており、1回目を文永の役、2回目を弘安の役と呼んでいます。 どちらの戦いでもモンゴル軍は日本に侵略することができませんでした。 蒙古襲来絵詞.jpg

しかし蒙古襲来の後、幕府は御家人たちに恩賞を渡すことができませんでした。 これにより御家人たちの不満が高まっていきます。

この頃、朝廷のトップだったのが後醍醐天皇です。 後醍醐天皇.jpg 後醍醐天皇は、「幕府が混乱している今がチャンス」と考えて、幕府に奪われた政治の実権を朝廷に取り戻そうとしました。 この戦いが元弘の乱です。 足利尊氏や新田義貞といった幕府の御家人が後醍醐天皇に味方したことにより、鎌倉幕府は滅亡しました。 こうして後醍醐天皇による建武の新政が始まっていきます。

語呂合わせ

いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府

補足

(※1) わかりやすさを重視して、一般的に知られている年代で無理やり区切りました。鎌倉幕府はいつできたのか?という問題は現在も議論が行われています。

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