日本文学史マスターへの道㉒
日本文学史マスターへの道
『紫式部日記』
〔紫式部日記絵巻(五島美術館蔵、国宝)〕
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《確認ポイント》
✔︎紫式部
✔︎詳細な宮廷生活描写 ✔︎個人的随想
《書名》
『紫式部日記』
または、『紫式部が日記』『紫式部の日記』『紫日記』
《作者》
紫式部
父親であり漢学者として知られていた藤原為時の役職が「式部烝」のため、
「藤式部」と呼ばれていたが、
『源氏物語』の紫の上にちなんで、紫式部と呼ばれたらしい。
曽祖父は36歌仙の藤原兼輔であり、
家系的に漢文学の知識があったとされる。
紫式部は若くして母を亡くし、
父に影響から漢文学と和歌に親しみ、
20歳頃に父の赴任とともに越前国へ行き、
帰京後藤原宣隆と結婚するも、すぐに夫は死んでしまい、
その後、一条天皇の中宮彰子に仕え、
宮仕えを終え40歳頃亡くなったとされる。
他に、『源氏物語』や私家集『紫式部集』がある。
〔紫式部(土佐光起画、石山寺蔵)〕
《成立過程》
記事から推測するに、寛弘7(1010)年正月15日が最後であるため、同年の夏頃の完成と思われる。
《内容》
紫式部が一条天皇の中宮彰子に仕えていた寛弘5(1008)年秋から寛弘7(1010)年正月までの宮廷生活の記録や個人的な思いを綴る部分によって成る。
・前半部:詳細な宮廷生活描写
中宮彰子の敦成親王出産と祝いの儀式、宮廷行事の様子が描かれ、それに同化できない自信の内面が凝視されている。
・後半部:個人的随想部
「侍り」を多用し、消息文(書簡体)という形でどう時代女房の批評や事故への厳しい省察が行われる。
《史的意義》
宮廷行事や服飾・調度品を知る上で重要な資料であり、
皇子誕生前後の人々を詳細に記す一方、
宮廷の華やかさに溶け込めず、自身の憂い沈む姿を厳しい目線で捉える。
鋭い観察力と自己の内面への深い洞察力が伺える。
《『和泉式部日記』冒頭》
秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、
いはむかたなくをかし。
池のわたりの梢ども、遣水のほとりの草むら、
おのがじし色づきわたりつつ、
大方の空も艷なるにもてはやされて、
不断の御読経の声々、あはれまさりけり。
やうやう凉しき風のけはひに、例の絶えせぬ水の音なひ、
夜もすがら聞きまがはさる。