朝貢国日本
概要
中国を中心する東アジアの国際秩序に組み込まれた、近世までの日本についてです。
時代
〜1854年
場所
詳細
本土
古代
華夷思想により中国周辺の国際秩序に組み込まれていた国の1つに、日本があります。
他の諸国と同様、朝貢使節を派遣したり、冊封されたりしていました。
3世紀ごろ、多くの諸国に分かれていた日本の一国、邪馬台国の女王卑弥呼が朝貢使節を送ったことが記録されています。
その諸国を4世紀に統一したのがヤマト政権です。
5世紀になると倭国は南朝に度々使いを送るようになり、影響力を求めて朝鮮半島へも進出しますが、白村江の戦い以来影響力を失うこととなりました。
隋、唐の時代には遣隋使・遣唐使をおくって中国文化の輸入につとめ、派遣にあたっては「日本」や「天皇」という号を使い始めました。
唐の国際的な文化の影響をうけた、天平文化が平城京を中心に栄えるようになります。
唐末の動乱が激しくなると遣唐使の派遣は停止され、日本風の国風文化へと変容していきます。
中世
12世紀末、都が関西から関東へと移され、鎌倉幕府がたちます。
武士の源氏による軍人政権でした。
元軍の到来(元寇)をきっかけに幕府は弱体化し、室町幕府に取って代わられます。
近世
16世紀、貿易の活発化と火器の伝来により、織田信長や豊臣秀吉が貿易で利益を得たり、火器を導入したりして統一を進めます。
そして豊臣秀吉はさらに領土の拡大を目指し朝鮮に侵攻します。(文禄・慶長の役/任辰・丁酉倭乱)
しかしこれは李舜臣らの抵抗により斥けられます。
彼の後実権を握り、江戸幕府を開いた徳川家康は朱印船貿易を促進し、東南アジアに進出し日本町などを作るようになりました。
1630年代、幕府の権威を強めるため、貿易統制を強化しキリスト教を禁止にして、「鎖国」体制が完成します。
そしてこれは、1853年の黒船来航までしばらく続きました。
沖縄
かなり最近まで、沖縄は日本本土とは異なる歴史をあゆんでいました。
15世紀初め、中山王により琉球として統一されると、明との朝貢貿易で栄えます。
17世紀になると日本の島津氏に侵攻されたことから日本にも服属するようになり、「日中両属」の関係が成立します。
その中で、独自の文化が首里城を中心に形成されました。
1879年、明治維新に伴う琉球処分で沖縄として併合されるまで、この体制は続きました。