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イスラーム王朝まとめ


概要

イスラム教を国教とした、イスラーム王朝のまとめです。

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地域ごとに見ていきましょう。

時代

610年〜

詳細

アラブ/イラン地域

まとめの図において赤色で示されているこの地域は、イスラーム文化の中心となった地域です。

610年にムハンマドにより唱えられたイスラム教の下で、カリフと呼ばれる統率者が長となり栄えます。

初代カリフのアブー・バクルから4代目のアリーまでは選挙によりカリフが選出される、正統カリフの時代でした。

661年にムアーウィヤが創始したウマイヤ朝からはカリフは世襲となります。

首都をダマスクスにおいたウマイヤ朝は、750年にアッバース朝に取って代わられます。

首都をバグダードにおいたこの王朝は、アラブ人優遇の制度をムスリム(イスラム教徒)優遇の制度に変えたことから「イスラーム帝国」と呼ばれるようになります。

勢力が弱まり、3カリフ時代に突入すると同時に、域内にシーア派ブワイフ朝がたちバグダードを占領、実質的な支配を行うようになります。

ついでたったセルジューク朝により実権がとってかわられると、スルタンの号が支配者の意を示すようになりました。

そして1258年、フラグの率いるモンゴル軍によりアッバース朝は倒されますが、建国されたイルハン国もイスラム教を国教としました。

西方

紫色で示されるこの地域のイスラム文化は、ウマイヤ朝がアッバース朝から逃がれて立てた後ウマイヤ朝から始まります。

後ウマイヤ朝の君主はカリフを主張し、3カリフの一人となりました。

都をコルドバに置き、文化が発展します。

11世紀になるとベルベル人の立てたムラービト朝、続いてムワッヒド朝がおこります。

どちらも都はマラケシュにおいていました。

その後ナスル朝へと移りますが、1492年にレコンキスタ(国土回復運動)が完成しキリスト教文化が占める地域となりました。

エジプト

水色で示されたこの地域は、アッバース朝の支配下に一時入ったのちにファーティマ朝が建国されます。

シーア派王朝であったこの国でも、カリフが主張され3カリフの一人となります。

首都をカイロに建設しました。

12世紀にはサラディンによりアイユーブ朝が、13世紀にはもとは軍人奴隷のマムルークにより立てられたマムルーク朝が繁栄、15世紀にイスラム教国家のオスマン帝国の支配下へと移り変わります。

トルキスタン(中央アジア)

青で示されたこの地域は、アッバース朝の支配下に入った後にサーマーン朝が立てられます。

10世紀にカラハン朝、11世紀にはホラズムシャー朝が立てられました。

モンゴル軍により征服されます。

アフガニスタン

オレンジで示されたこの地域に、10世紀にガズナ朝、続いてゴール朝が立てられます。

これら2つの国はインドに進出し、イスラームの影響を与え、デリースルタン朝へと繋げました。

しかしアフガニスタン地域は、モンゴル軍に支配されることとなります。

補足

イスラーム」という表記と、「イスラム」という表記、どちらも存在していてどちらなのだろか?と思う方も多いと思います。

結論からいえば、 「どちらでもいい」 です。

本来の発音を日本語表記に直す時の揺らぎであるので、指しているものは一緒というわけです。

世界史を学ぶ上でどちらにも出会いますが、個人的な感覚としては、宗教そのものを指すときには「イスラム」、文化全体を表すときには「イスラーム」が多い気がしています。

よって、このサイト内ではそのような表記になっています。

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