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イラン・イラク戦争

イラン・イラク戦争

1980年、イランとイラクの間で起こった戦争。

スンニ派対シーア派、イラン革命対欧米という図式で捉えることもできる。

結局、明確な勝敗が決まらないまま1988年に停戦し、戦争は終了した。

sMapChart_Map.jpg (mapchartで作成)

戦争の原因

  • シャトルアラブ川の国境問題
  • イラン革命の波及を恐れた

ことが原因。

直接的原因

直接的な原因は、イランとイラクの国境にあるシャトルアラブ川の国境線の位置でもめたこととされる。

しかし、それだけでこんな8年もの泥沼戦争になるわけがない。もっと深い因縁がある。

イラン革命とイラクの国内情勢

開戦1年前の1979年、イランでイラン革命が起こった。シーア派の民衆が国王を倒し、イスラム教に基づく国づくりを始めたのである。

これを恐れたのがイラクの独裁者、フセインであった。フセインはスンニ派で、スンニ派を優遇していた。

ところがイラクは、国民の約半分がシーア派である。シーア派イラク人が、隣のイラン革命で盛り上がっているのを見て、「イラクでもシーア派で革命を起こそう!」となったら困るわけである。

こうして、イラン革命を潰すためにイラクがイランを攻撃、戦争が始まった。

欧米の支援

イラン・イラク戦争には、イラン革命vs欧米という図式も存在する。

イラン革命では、親欧米のパフレヴィー朝が倒され、イスラーム法にもとづいたイスラーム共和国が成立。反欧米の立場をとった。

当然、イラン・イスラム共和国の成立は欧米(特に米国)にとって都合が悪いので、欧米はこの革命を潰したかったのと同時に、革命が他の国に波及するのを恐れていた。

そのため、米国をはじめとする西側だけでなく、ソ連までもがイラクを支援。イランはよく耐えたが、国際的に孤立し1988年に停戦を迫られた。

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