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日本文学史マスターへの道⑫『枕草子』


日本文学史マスターへの道

『枕草子』

Sei_Shonagon3.jpg 〔「枕草子絵詞」〕

源氏物語まで学んだら、セットで覚えたいのが枕草子。

2分で読む枕草子なんてサイトも面白いかもしれませんね。

皆さんは中学生くらいの時に、

自己流『枕草子』書きませんでしたか?

思い出しつつ学びましょう。

《確認ポイント》

✔︎清少納言の『枕草子』

✔清少納言は中宮定子に仕えた

✔︎随筆というジャンルの生みの親

《書名》

枕草子

跋文(後書き)によると、

  • 書名の由来は、中宮定子が兄の藤原伊周から献上された草子(綴じ本)に

  • 何を書こうか清少納言に相談した。

  • すると、「枕にこそ侍らめ」(=枕でございましょう)と答えたため、

  • 『枕草子』となったらしい。

『枕』の由来は、そのやりとりと推測されるが、『枕草子』全体の意味は不明。

また当時は、『まくらそうし』と呼んでいたらしい。

《作者》

清少納言 Sei_Shonagon2.jpg 〔土佐光起画『清少納言図』〕

  • 清少納言の家系である清原氏は学者歌人の家柄であった。

  • 父の清原元輔は『後撰和歌集』を選集した「梨壺の5人」の一人。

[梨壺の5人]

源順・清原元輔・坂上望城・紀時文・大中臣能宣の5人で、『後撰和歌集』の撰者

曽祖父の清原深養父は『古今和歌集』時代の一流歌人。

清少納言は、文学的レベルの高い家庭環境で育ち、和歌や漢学など深い教養を身につけて行った。

〈清少納言に訪れた2度の転機〉

16歳頃に橘敬光と結婚し、長男宣長を出産。

しかし10年で離婚。

1度目の転機

28歳頃に中宮定子に仕え、

清少納言の高い教養と明るい性格から熱い信頼を受け、寵愛された。

定子の父藤原道隆や兄伊周、弟隆家などの中関白家の人々や藤原公任・斉信・行成といった当代きっての公卿や殿上人達とも渡り合い、

華やかで充実した宮廷生活だった。

定子の死により宮廷生活は10年に満たないうちに辞めることになる。

2度目の転機

旧知の歌人達と和歌の贈答などをしながらひっそり暮らしていたらしいが、消息は不明。

藤原棟世と再婚したらしいが、

晩年は寂しい生活であったらしい。

60歳前後で亡くなったとされる。

《成立過程》

題材となっている出来事が、

正暦3(992)年〜長保2(1000)年に集中しているため、

跋文の書かれた長保3(1001)年頃に成立したと考えられる。

のち、増補や加筆があったと推定されている。

最終的完成は、寛弘年間(1004〜1012)と考えられている。

《表現》

簡潔な和文体

清少納言の鋭い観察力と審美眼が表現されている。

短文構成であり、

述語の省略・体言止め・連体形止めが多い。

軽妙かつ印象鮮明な文章で、

「をかし」の精神を表現している。

《構成》

内容・形式が自由なおよそ300の昇段からなる随筆である。

*随筆は、歌物語とフィクション要素以外は全て入っていると考えて良い。

  • 類聚的(るいじゅうてき)昇段
  • 日記的昇段
  • 随想的昇段

の3つに分けることができるが、

伝本(三巻本・能因本・前田家本・堺本)によって

本文や配列、昇段に大きな差があり、

堺本は日記的昇段がない。

☆類聚的昇段

「ものづくし」と呼ばれ、

約半数がこの昇段である。

「…は」型と「…もの」型の2形式がある。

「…は」型

「歌枕」(和歌の題材や言葉などの資料を集めたもの)の性格に近い。

まず自然景物など主題を示し、

続いて関連する趣深いものの名を列挙し、単評を加える。

「…もの」型

人間や人生に関する主題が多い。

まず、主題を示し、その後連想される事柄を書き出す。

→ともに、作者の鋭い感受性・語感に沿った言葉の連想が自在に展開される。

☆日記的昇段

作者の宮仕え中の見聞きしたことや体験したことを中心に回想的に書いた昇段。

自賛的部分も含まれるが、

全体としては中宮定子の華麗なサロンの様子がイキイキと鮮明に描かれ、

華やかな雰囲気に満ちている。

清少納言と中宮定子の信頼の強さ、清少納言の漢学の知識もうかがえる。

☆随想的昇段

自然に対する繊細かつ豊かな完成、人間に関する機微を自由に書き留めたしぃウ段。

随筆らしさは作中随一であり、清少納言の観察眼による鮮明な印象が表現されている。

→作中通して「をかし」の世界が作り出されている。

*類聚と随想の複合した昇段もあり、冒頭「春はあけぼの」もこれにあたる。

《史的意義》

「をかし」の理念を据えた知的な感覚美の世界が、

日記文学の事象生を保持しながら展開されている。

「をかし」の作風全てが清少納言の個性によるものではなく、

中関白家の知的かつ洗練された会話を好みつつ冗談なども口にする明るい雰囲気が影響していると考えられる。

自由で型にとらわれない文章も、

中関白家の気風を受け継いだ定子

文才に秀でた清少納言

の運命的出会いが生み出したものであろう。

ここで新たなジャンルである随筆が生まれる。

『枕草子』は随筆文学の祖である。

『徒然草』などに影響を与えていく。

《「枕草子」冒頭》

春はあけぼの。

やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、

紫だちたる 雲のほそくたなびきたる。

夏は夜。

月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。

また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。

雨など降るもをかし。

秋は夕暮れ。

夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、

三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。

まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。

日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。

冬はつとめて。

雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、

またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、

炭もて渡るもいとつきづきし。

昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、

火桶の火も白き灰がちになりてわろし。

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