日本文学史マスターへの道⑰『方丈記』
日本文学史マスターへの道
『方丈記』
〔大福光寺本(鎌倉前期写、伝 鴨長明自筆)〕
絵巻で読む方丈記で視覚的に学ぶのもいいかもね。
《確認ポイント》
✔︎鴨長明の『方丈記』
✔︎仏教的無常観
✔︎随筆
《書名》
『方丈記』
草庵について
「広さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり」
というところからきた。
「方丈」=一丈四方=3メートル四方
《作者》
鴨長明
〔鴨長明(菊池容斎画、明治時代)〕
下鴨神社の禰宜(神主)の家系に生まれ、
俗名「かものながあきら」とも呼ばれた。
法名は蓮胤(れんいん)。
和歌を俊恵に、琵琶を中原有安の学び、
30代半ばで勅撰集に入撰、
40歳後半には後鳥羽院から和歌所の寄人に抜擢される。
その後、禰宜職を与えられる機会をもらうものの妨害により断念し、
出家し大原に隠棲。
のちに日野に移り、方丈の庵を結ぶ。
ここで『方丈記』を著述。
同じく鴨長明の著述である歌論書『無名抄』や
説話集『発心集』もこの時期に著述した。
《成立過程》
「時に建暦の二年、弥生のつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。」
以上の文が、奥付けに書かれているため、
建暦2(1212)年成立。
《表現》
漢文訓読調の和漢混淆文
対句が多用されており、リズムが良い。
比喩も的確であり、
災害描写はリアルでダイナミック。
《構成》
前後半で内容としては分けることができる。
前半:災厄
後半:日野での草庵生活
《前半内容》
- 安元の大火
- 治承の辻風
- 福原遷都
- 養和の大飢饉
- 元暦大地震
の5つの災厄が記される。
京都は壊滅的状態であり、
鴨長明は、万物は変化し続け、永久不滅なものはないという無常の世を生きることについて述べる。
《後半内容》
出家し日野へ至る経緯
→日野の方丈の様子説明
→仏道修行・和歌音楽に浸る生活を語る
⇒草庵生活に執着する事故を発見し、偽りの姿であると反省し、仏道修行者として正しい道への決心を述べる。
《史的意義》
構想・表現は平安時代の漢学者慶滋保胤『池亭記』に倣ったか。
歌語や仏教語が多い。
『枕草子』『方丈記』と比べると、
『方丈記』は無常観を基本において論を展開し、自己否定という完結へ至る。
一貫性を有している作品。
激動の時代を生きた鴨長明は、
現実に不安を抱き出家した隠者であり、
文学態度は自己凝視である。
隠者文学の中でも優れており、
『徒然草』と双璧をなす。
『平家物語』にも影響を与えたと見られる。
《『方丈記』冒頭》
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、
たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。
住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、
いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、
何によりてか目をよろこばしむる。
そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、
いはゞ朝顏の露にことならず。
或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』