日本文学史マスターへの道⑳
日本文学史マスターへの道
『蜻蛉日記』
〔蜻蛉日記(岳亭春信画)〕
『蜻蛉日記』も『土佐日記』同様、ブログなどが多く、
まずは調べてみるとお気に入りのものが見つかるかも??
《確認ポイント》
✔︎藤原道綱母
✔︎女流日記文学の祖
✔︎自照文学
《書名》
『蜻蛉日記』
上巻の結び「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心地するかげろふの日記といふべし」に由来する
《作者》
藤原道綱母
藤原倫寧の娘で、
19歳頃に右大臣藤原師輔の三男兼家と結婚し、
道綱をもうける。
結婚生活は苦悩まみれであったが、
才色兼備の誉が高く有名な歌人であった。
『大鏡』では「きはめたる和歌の上手」と評される。
『更級日記』の作者である菅原孝標女の叔母。
〔藤原道綱母(百人一首より)
《成立過程》
天延2(974)年が最後の記事であり、
この後、歌や日記の記録を頼りに回想し書き綴られたとされる。
上中下巻が同時成立かは不明。
《表現》
かな文字の散文形式で、人間の内面を凝視している。
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上巻は和歌中心で詳細な詞書をつけて綴り、
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中巻と下巻では散文の性格が強まる。
中巻で日記的な内面描写が深まっており、下巻では客観性が加わり物語的表現となる。
《構成》
藤原道綱母は受領階級の娘であり、
権勢家の妻となり、道綱を出産する。
夫は多情であり、道綱母は深く傷つき苦悩し、
道綱の成長だけを頼みに生活する。
21年間の結婚生活の苦しみや悩みを赤裸々に綴った自伝的回想記であり、上中下の三巻構成である。
《内容》
上巻:天暦8(954)年〜安和元(968)年
藤原兼家の求婚により結婚し、道綱を出産。兼家は多くの妻妾がおり、それに嫉妬し、夫との懸隔が深まる。初瀬に参詣し、その間に父の陸奥国赴任や母の死が挟まれている。
中巻:安和2(969)年〜天禄2(971)年
源高明があんなの変で失脚し、それへの同情や道綱母の大病、道綱が賭弓で活躍する話、唐崎祓え、石山参詣などが描かれ、夫婦仲はさらに険悪化していく。
下巻:天禄3(972)年〜天延2(974)年
兼家を恨むこと無く、諦めの様子が見られ、養女を迎えた事や道綱母の恋愛贈答歌、養女の縁談を物語的に綴る。
《史的意義》
女流日記文学の最初の作品で、
人生をありのままに描き、自己の内面を客観的に述べる。
自照文学として『源氏物語』に影響を与えた。
《『蜻蛉日記』冒頭》
かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、
とにもかくにもつかで、世に経る人ありけり。
かたちとても人にも似ず、心魂もあるにもあらで、
かうものの要にもあらであるも、ことわりと思ひつつ、
ただ臥し起き明かし暮らすままに、
世の中に多かる古物語のはしなどを見れば、
世に多かるそらごとだにあり、
人にもあらぬ身の上まで書き日記にして、
めづらしきさまにもありなむ、
天下の人の品高きやと問はむためしにもせよかし、とおぼゆるも、
過ぎにし年月ごろのこともおぼつかなかりければ、
さてもありぬべきことなむ多かりける。