日本文学史マスターへの道⑯『徒然草』
日本文学史マスターへの道
『徒然草』
〔正徹本・永享三年(1431年)写〕
京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 徒然草からも内容を見てみよう。
《確認ポイント》
✔︎兼好の『徒然草』
✔︎仏教的無常観
✔︎随筆
《書名》
『徒然草』
冒頭「徒然なるままに日暮らし、」が由来であるとされる。
ただし、
- 命名が兼好自身か、
- 後世誰かの手によるものか
は不明。
古語「徒然なり」は、手持ち無沙汰ですることがない様子を表す。
《作者》
兼好
〔『前賢故実』 菊池容斎画)
兼好の人生は謎だらけであることが近年の研究によって明らかになった。
吉田兼好は誤り!?
京都の吉田神社が出自と思われていたが、
鎌倉北条氏の金沢貞顕の家臣である説が発表され、
その根拠が『徒然草』や私家集の『兼好法師集』にあることが明らかとなった。
卜部兼好であっても吉田兼好ではない。
これが通説となるのだろうか。
吉田兼好が生まれたきっかけは、吉田兼倶が自身の系図に箔をつけるために勝手に兼好を家系図に付け加えたという推定がなされている。
- とにかく兼好と覚えておこう。
兼好は、修学院や比叡山の横川に隠棲して、仏道修行や和歌道に励んだらしい。
晩年は仁和寺付近に住んでいたとされる。
和歌は、二条為世に学び、
頓阿・慶運・浄弁らとともに「和歌四天王」と呼ばれた。
『続千載和歌集』『続後拾遺和歌集』『風雅和歌集』に入集している。
歌人としてだけでなく、
古典学者・有職故実家・能書家として
室町幕府要人と交流があったらしい。
《成立過程》
元弘元(1331)年に成立していた説
序段〜第32段、残りの段の2回に分けた執筆とする説
-
3回に分けて執筆した説
-
長期に渡り執筆した説
-
南北朝時代に成立した説
以上のような諸説があるため、正確な年次は不明。
《表現》
簡潔な和漢混淆文
+
均整の取れた和文体
係り結びや反語が多用されており、会話文が効果的に用いられる。
無駄のない平易な文章は説得力を持ち、抑揚が効いた文章である。
*一部、同種の話題連続も見られる。
《構成》
序段と234段の本文から構成され、ジャンルは随筆である。
序段〜136段:上巻
137〜234段:下巻
各昇段は独立した内容であり、王朝追慕と仏教的無常観が軸となり、
幅広いテーマで描かれる。
兼好の博識ぶりが見て取れる。
大まかに昇段分けすると以下の8つになる。
-
仏教的無常観について
-
仏道修行について
-
自然情趣について
-
生活・趣味・恋愛・芸道についての論
-
人間観察による説話的昇段
-
巷談俗説(こうだんぞくせつ)
-
有職故実について
-
思い出や自賛
《一部昇段について》
☆仏教的無常観関連の昇段
無常への嘆きを試作的に深めている点が特色。
自然変化のプロセスに無常の美を見出し、また、無常の世に生きる人間の道を述べている。
☆人間の本質関連の昇段
現実社会を生きる人間の立場や言動を理解し、的確に表現し描き、客観的に批判をする。
内容もさまざまである。 EX.男性論・女性論・恋愛論など
☆有職故実関連の昇段
今の世を非難し、平安貴族文化を憧憬する尚古的態度が強く、この点に注目したからこそ有職故実に執着できた。
《史的意義》
内容や長短さまざまな昇段で構成される点は『枕草子』を意識していると思われる。
平安王朝賛美が主調の『枕草子』に対し、
『徒然草』は、多彩な主題を持っている。
花鳥風月や四季、人事、仏教といったあらゆることに関して鋭い批評眼を持っており、
仏教的無常観においては、『方丈記』と比較され、
無常への嘆きを美へと極めるような形となって描かれている。
室町時代には、正徹に賞賛され、それ以降連歌師や歌人に尊重されるようになった。
現代でも、小林秀雄「無常といふ事」などに影響を与える存在である。
《『徒然草』冒頭》
つれづれなるままに、ひくらし、
すずりにむかいて、こころにうつりゆくよしなしごとを、
そこはかとなくかきつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ