本能寺の変とは天下統一直前の織田信長が、家臣の明智光秀によって殺された事件。
まずこの頃織田信長がどのような状況に置かれていたのかを確認しましょう。
天下統一を目指す織田信長は、敵対する武田勝頼を倒そうとしていました。
その際に徳川家康・北条氏政と連携しています。
この戦いによって武田氏は滅亡しました。
つまり東側を抑えることに成功したのです。
しかし西側の中国・四国地方はまだ落ち着いていませんでした。
ということで信長は自ら戦うことを決意して西へと向かいます。
その途中で信長が宿泊したのが本能寺です。
このタイミングで信長は家臣の明智光秀から裏切られます。
この戦いで信長は自害に追い込まれ、信長の後継である信忠も切腹しました。
この情報を掴んだ豊臣秀吉(※1)は西での戦いをすぐにやめて
明智光秀を倒そうとします。
いちごパンツ(1582)で本能寺
(※1)当時の名前は豊臣秀吉ではありませんが分かりやすさを重視して名前を統一しています。
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