日本文学史マスターへの道㉚
日本文学史マスターへの道
平家物語
〔平家物語〕
テレビアニメ平家物語を見るのもあり!
《確認ポイント》
✔︎琵琶法師
✔︎軍記物語 ✔︎芸能への影響
《書名》
『平家物語』
平家一門の興亡を語っていることが由来と考えられる。
《作者》
未詳だが、
『徒然草』226段では信濃前司行長が盲目で東国出身の生仏に語らせており、
武士や戦術については生仏が武士に聞くことで行長に伝え書かせたとされる。
ただし、近年行長作は否定されており葉室時長や吉田資経作などがある。
《成立過程》
平信範『兵範記』によると
仁治元(1240)年に6巻の『治承物語』を平家と号する記事があるためそれ以前の成立と考えられる。
原巻は3巻と推定され、増補されたのち6巻、また12巻となったとされる。
琵琶法師の琵琶の演奏に合わせ「平曲」として語り継がれるうちに増補や改変がなされたと考えられる。
このプロセスの中で『源平盛衰記』などの異本が誕生したとされる。
現在の主流は12巻+灌頂の巻の覚一本である。
《構成》
平家の興亡や合戦の歴史およそ70年を描いた軍記物語で、
武士の悲壮や女性の悲哀が描かれる。
諸行無常・盛者必衰など仏教的無常観を根底とし、
儒教的な主義思想も加わる。
平清盛の死を境として、前後半の2部に大別出来る。
《内容》
- 前半
良望から正盛まで6代は受領であり、忠盛が昇段を許される。清盛は忠盛の死後に太政大臣に昇進し、平家一門は出世を遂げる。平氏の栄達は後白河法皇と対立関係を生むこととなり、後白河法皇は平氏打倒を掲げる。源頼朝や木曽義仲がこの動きに乗じて挙兵し、都を福原へ移し、また京都に戻すという困惑ぶりを清盛は見せる。事態の打開に苦しむ中清盛は病死する。
- 後半
木曽義仲の活躍で、平氏は都落ちする。義仲は京都に入るも無骨な振る舞いや盗賊とかした兵士の乱暴によって都人に受け入れてもらえず、源義経に討たれる。平氏は一の谷の城郭を越えるも義経の攻撃により撤退する。屋島の戦いも同様に敗れ、壇ノ浦に追い詰められ平氏は滅亡する。維盛の子である六代も斬死し、平家は断絶となる。「灌頂巻」は壇ノ浦で地獄を見た建礼門院徳子が出家して、寂光院の陰棲生活を送るなか、平家一門の栄華と滅亡について語る後日談的なものである。
〔壇ノ浦の戦い(1185年)〕
《表現技法》
和漢混淆文で、
和語・漢語・口語・俗語・方言・武士語などが取り入れられている。
語り物であるため、話題ごとに文体が使い分けられ、対句や七五調が見られる。
擬音語や擬態語の多用により躍動感を生み出し、
和文体の部分は哀感あふれる物語構成になっている。
《史的意義》
政権構想を歴史的な視点から捉え、
且つ人間や世の中の現象にも焦点を当てており、
人物の感情も叙情性豊かに描き上げ、
軍記物語の傑作である。
以降の軍記物語のみならず、謡曲・狂言・浄瑠璃・歌舞伎などの芸能に影響を与えた。
《『平家物語』冒頭》
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。