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ミジンコでもわかる時事ニュース

カシミール地方についてわかりやすく解説します

概要

動画投稿日|2025年5月2日

動画の長さ|4:22

今からおよそ80年前、現在のインドとパキスタンは「イギリス領インド帝国」と呼ばれる、イギリスの支配下にある国でした。 第二次世界大戦の後、ヒンドゥー教徒の多いインドとイスラム教徒の多いパキスタンに分かれて独立しました。 当時、インド帝国内には600以上の「藩王国」があり、ほとんどはインドかパキスタンに吸収されました。 しかし、ジャンムー・カシミール藩王国では住民の多くがイスラム教徒だった一方で、王様はヒンドゥー教徒でした。 藩王は独立を保ちたかったため、どちらの国にもすぐには加わりませんでした。 その後、パキスタンがカシミールに侵攻し、藩王はインドに助けを求めました。 インドはカシミールが自国の一部になることを条件に支援し、戦争が始まりました。 これが「第一次印パ戦争」です。 戦いは国連の仲介で停戦となり、カシミールは事実上インドとパキスタンに分割されました。 インドと中国の間でもカシミール地域の領有をめぐる対立があり、中国はアクサイチンを実効支配します。 また、パキスタンは中国に接近するため、シャクスガム渓谷を一時的に中国に譲渡し、インドはこれに強く反発しました。 1965年、パキスタンが再び攻め込んで「第二次印パ戦争」が勃発し、再び国連が停戦を仲介しました。 1971年には東パキスタンと西パキスタンで戦争が起こり、インドが東パキスタンを支援して「バングラデシュ」が独立しました(第三次印パ戦争)。 その後、インドとパキスタンは「シムラー協定」を結び、今後の争いは国連や他国を介さず、両国間で解決することに合意しました。 また、中国が核兵器を持っていたため、インドも1974年に核実験を行い、核保有国になりました。 パキスタンも1998年に核実験を成功させ、核を保有しました。 最近、インド支配地域のカシミールの観光地でテロ事件が発生し、多くの人が犠牲になりました。 さらに、インドとパキスタンがかつて結んだ「インダス川水資源条約」について、インドはテロ支援が止まらない限り条約を破棄する可能性を示しました。 インダス川の上流はインド側にあるため、パキスタンは水不足の危機に直面しています。 ミジンコでも理解できるように 分かりやすく解説します。 【BGM】 甘茶の音楽工房さんの「青い空を見ていた」と「MoonSpring」という BGMを使わせていただいています。 本編 https://amachamusic.chagasi.com/music_aoisorawomiteita.html エンディング https://amachamusic.chagasi.com/music_moonspring.html

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#高1#高2#高3#レベル1#地理横断テーマなど#講義

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紛争とか領土問題

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