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【世界史】第一次世界大戦前の外交まとめ


世界史
2025年7月6日

はじめに

みなさん、第一次世界大戦で争った連合国側、同盟国側の国をそれぞれあげられますか?
ただ単に暗記するだけではなく、どうしてその国同士が結びつき、また対立するようになったのか、詳しく解説していきます!

三国同盟:仏を孤立

  • ドイツはフランス包囲のために、オーストリア=ハンガリーとの緊密な軍事同盟を求めた。
  • オーストリア=ハンガリーもロシアへの対抗策としてドイツを必要とした。
  • イタリアは自身の安全と植民地獲得のために参加した。


こうして1882年にドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアによる三国同盟が成立し、ヨーロッパの勢力均衡に大きな影響を与えました。

三帝同盟の解消:ドイツとロシアが疎遠

バルカン問題の激化

  • オーストリア=ハンガリーとロシアは、バルカン半島で勢力争いを展開。→ 両国が深刻に対立し、同盟維持が困難に。


ベルリン会議(1878)

  • オスマン帝国の弱体化に乗じたロシアがバルカンに進出(露土戦争) → サン・ステファノ条約。
  • ドイツ主催のベルリン会議でオーストリアに有利な調整が行われ、ロシアは屈辱。→ ロシアのドイツ・オーストリアへの不信が高まる。


同盟の失効

  • 1887年ごろに事実上解消。→ ビスマルクは一方でロシアとの関係維持を試み、再保障条約(1887)を結ぶが、ビスマルク退任後(1890)に失効。


三国協商:ドイツに対抗

1.露仏同盟(1891〜94年)

  • ロシアとフランスが軍事同盟を締結。
  • ドイツ・オーストリアに対抗するための本格的軍事協定。


2.英仏協商(1904年)

  • イギリスとフランスが植民地対立(エジプト・モロッコ)を調整
  • 対ドイツで歩み寄り、相互理解を深める。


3.英露協商(1907年)

  • イギリスとロシアが中央アジア(イラン・アフガニスタン)の対立を解消
  • これにより、英仏露の協調体制が完成。


当初はアジア、アフリカの三国間の利害調停のための合意であったが、やがてドイツの世界政策に対抗する性格を持つようになった。

モロッコ事件:ドイツが国際的に孤立

第一次モロッコ事件(1905年)

  • ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコの港タンジールを訪問し、モロッコの独立を支持すると演説。
  • フランスとの対立が激化し、国際会議(アルヘシラス会議, 1906年)が開催。


第二次モロッコ事件(1911年)

  • ドイツが砲艦をモロッコ南部の港アガディールに派遣。
  • 武力衝突の危機に発展しかける。
  • 独仏の妥協により、ドイツはコンゴの一部領土と引き換えにモロッコ支配を容認


結果

  • 三国協商(英仏露)の結束を強めた
  • ドイツは2度とも外交的に敗北し、孤立感と不満を募らせた
  • ヨーロッパの列強間の緊張が一層高まり、第一次世界大戦の遠因となった。


バルカン戦争:ブルガリアとオスマン帝国が同盟側へ参戦のきっかけ

第一次バルカン戦争(1912年)

  • ロシアの後押しで、セルビア・ブルガリア・ギリシャ・モンテネグロの国々が「バルカン同盟」を結成。
  • オスマン帝国はヨーロッパのほとんどの領土を失う。


第二次バルカン戦争(1913年)

  • 領土分配をめぐってブルガリアとセルビアが対立。
  • 逆にセルビア・ギリシャ・ルーマニア・オスマン帝国が反撃し、ブルガリアが敗北。
  • ブルガリアは領土を大幅に失う
  • セルビアの影響力が拡大し、オーストリア=ハンガリーと深刻な対立へ。
  • バルカン地域の緊張がさらに高まり、翌年のサラエボ事件→第一次世界大戦へとつながる


そして第一次、第二次の敗戦国であるオスマン帝国とブルガリアは後ろ盾としてのドイツへの傾斜を強め、第一次世界大戦では同盟国側で参戦

イタリアの三国同盟離脱:連合国側へ

対オーストリアの領土問題

  • イタリアはオーストリアと領土問題(南チロル・トリエステなど)を抱えており、本来から対立関係。→ 三国同盟に加盟しながらも、オーストリアを信用していなかった


連合国側の密約と外交交渉

  • 1915年、イタリアは英・仏・露(三国協商)とロンドン密約を結ぶ。
    • 戦後、南チロル・トリエステ・ドデカネソス諸島などの領土獲得を約束される。
  • この密約を受け、イタリアは連合国側での参戦を決断


アメリカの孤立主義:のちに連合国側で参戦

モンロー宣言(1823年)

  • 第5代大統領ジェームズ・モンローが議会演説で打ち出した外交方針。
  • ヨーロッパ諸国に向けて:アメリカ大陸への再植民地化を拒否、欧州の政治に介入しない、欧州もアメリカ大陸に干渉しないよう求める

アメリカの第一次世界大戦への参戦

ドイツの無制限潜水艦作戦

  • ドイツは、連合国に物資を送る中立国の船も無差別に攻撃する作戦を再開。
  • アメリカの商船や民間船も被害を受け、国民の反独感情が高まる。

ルシタニア号事件

  • アメリカ人乗客を含む民間客船がドイツの潜水艦に撃沈され、アメリカ人約120人が死亡
  • 中立国であるアメリカ世論が激しく反発。


これらの理由から1917年4月6日、アメリカが連合国側で参戦

まとめ

同盟国側

ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア
→ブルガリア、オスマン帝国が参戦
→イタリアが当初中立、密約で連合国側で参戦

連合国側

イギリス、フランス、ロシア
→イタリアが連合国側で参戦
→アメリカが参戦

最終的な敗戦国として、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、オスマン帝国、ブルガリア帝国の五カ国を覚えておきましょう!

さいごに

いかがだったでしょうか?第一次世界大戦は三国同盟、三国協商という単純な対立ではなく、各国の利害が複雑に絡み合って勃発しました。

今回はご紹介していませんが、このほかにも日英同盟を理由に日本が参戦したりと、まだまだこれらは一部にすぎません。
ぜひ、単なる暗記で終わらせるのでなく、この記事の内容を自分の言葉で補いつつ説明できるようにしてください!

この記事の著者

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Bun

私立高校2年。勉強に役立つまとめなどを発信していきます!