【東大合格体験記 番外編】努力して他人を見下すこと
努力して他人を見下すこと
高校1年生では少ないかもしれませんが、高校2年生になってくると、ボチボチ受験を見据えて勉強を始める人も増えてくるでしょう。そんな時期に現れるのが「勉強を頑張らない人を見下す奴」です。
周りにいませんか。
それともこれを読んでるあなた自身がそうだったりするのでしょうか。
高校2年生、3年生の頃の私がまさにそうでした。
今回は東大合格体験記シリーズの番外編といったところでしょうか。当時の価値観を振り返りながら、当時の私と同じような状況に陥ってしまっている人へ向けてアドバイスをしたいなと思っております。
努力の価値をおとしめる
高校2年生の半ば、国数英で受験に必要な内容を全て習い終えたあたりで、ようやく受験までの距離感がはっきりと掴めるようになってきます。それまでも当然頑張っていたのですが、その頃からより一層「受験勉強」を意識して頑張るようになりました。
受験勉強を頑張るうちに、頑張っていない(頑張っているようには見えない)周りの人たちを心の中で見下すようになっていったんです。
「勉強しないなんて愚かだな、あとで後悔するやろなぁ」
「そんなんしてる暇があったら勉強したらいいのに」
「その状況でなんで笑顔になれるわけ?」
「中途半端に部活頑張るくらいなら勉強したほうがいいにきまってるやん」
頑張って思い出しながら書きましたが、多分これよりもひどいことを心に秘めていたような気がします。
「嫌いな勉強を無理に頑張っているから、勉強をしていない人が妬ましい」とか「友達と楽しく遊んだりして青春している人が羨ましい」とか、そういった気持ちは全くありませんでした。私は勉強がしたくて勉強していたし、勉強に全てを捧げることも全く苦ではありませんでした。おそらく私の場合は、逆に「これだけ勉強を頑張っている自分は特別だ」と自己を特別視しすぎるが故に、相対的に他人の位置が下がっていくといった形で、見下す行為に至ってしまっていたのです。
理由はともあれ、自分が努力している時というのは、他人を見下しがちになってしまうものです。精神的にも未熟な高校生であれば尚更でしょう。
確かに、全てを犠牲に努力することはとてもすごいことです。並の人ではできないでしょう。大人になってもまだ全身全霊をかけて努力するという経験をしたことがない人なんて、世の中にはいくらでもいますから。
でも、せっかくそんなにもすごいことをしているのに、他人を見下してしまった瞬間、その努力の価値は無きに等しいものとなるのです。誰からも評価されません。あなたの努力を認めてくれる人はいなくなってしまいます。努力を認めてくれなくなるどころか、嫌われてしまうんじゃないでしょうか。言葉にしていなくとも、「他人を見下してる感」はにじみ出るものです。
敬意を払うこと
ここからはアドバイスです。
当然ですが、他人を見下して得をすることはないので、それはやめるべきです。周りから人がいなくなる前にやめましょう。
そして、勉強を頑張れば頑張るほど他人を見下してしまうという人には、何を大切に生きていくのか、何に幸せを感じるのかは人それぞれ違うんだということに気づいてもらいたいですね。
進学校になればなるほど「勉強がすべて」みたいな価値観が育まれやすい環境な気がします。さらに、日本は学歴社会だなんてことが頻繁にささやかれているせいで、「学歴がなければ幸せになれない」「学歴社会を生き抜くことでしか幸せは手に入らない」みたいな、誤った考え方も生じやすいです。
私は大学生になってから気がつきましたが、全然「勉強が全て」じゃないです。自分の興味のあること、趣味に全力で取り組んで、充実した日々を送っている人はたくさんいます。勉強を頑張っていい大学に行って、そういう世界で大成したい…っていうのは、あなたの話。周りの人が全員そういう価値観ではないんだということです。
それに気がついて、他人の生き方に敬意を払うことができるようになれば、人として成長することができるんじゃないかなと思います。他人を見下すこともなくなりますし、あなたの努力をすごいねと言って認めてくれる人もでてきます。
今一度、自分の考え方を見直してみては?