受験における「手段の目的化」は人生に悪影響 part1
手段が目的になっていませんか?
どうも、フジです。
みなさんは、なんのために受験勉強を頑張っていますか?
将来医者になるため?
弁護士になるため?
夢があるのは素晴らしいことです。受験勉強はその夢を叶えるための手段。あくまで手段にすぎません。”なんのために受験を頑張るのか”の問いに対する答えを既にお持ちの方々は、このことを感覚的に受け入れることができていることと思いますので、なんら問題ありません。
さて、今回の記事でフォーカスするのは、”なんのために受験を頑張るのか”の問いに対するアンサーに困ってしまった方々です。残念なことにこちらに分類されてしまったみなさんは、もしかすると…。
手段を目的化してしまっている
”なんのために受験を頑張るのか”の問いに対するアンサーに困ってしまった方々は、ある問題を抱えている可能性が高いです。
ズバリ、「手段を目的化してしまっている」という問題。
「手段の目的化」という言葉は、1度は耳にしたことがあるでしょう。本来であれば手段であるはずのことが、目的となってしまっている状態のことを指します。
受験で言うと、本来であれば「将来医者や弁護士になるために受験勉強を頑張る」であるべきところが、「受験勉強を頑張るために受験勉強を頑張っている」となってしまっている状態…。
少々わかりづらいですね。
「受験勉強を頑張る自分に酔っている状態」の方がわかりやすいかしら。
どうでしょう。
心当たりはありませんか。
何がダメなん?
「手段の目的化の何がダメなん?」って思いましたよね?
このテーマに初めて触れた際、私もそう思ったんですよね。
私は「何がダメやねん!頑張る理由は人それぞれでいいだろ!」と、”受験が目的な人”として最後まで走り切りました。結果的に私は東大に現役合格できましたし、東大合格を根拠に「手段が目的化されてたってやればできることを証明できた」なんて思っていたんです。
ここまで聞くと、手段が目的化されていたって別に問題はないなって感じがしますよね。
ちなみに、よく言われるデメリットは「理由が曖昧なままだと頑張り続けるのにも限度があり、長期的なモチベーション維持が難しい」「頑張ることが目的になっていると、頑張れない自分を受け入れられず、過度に落ち込んでしまうことがある」みたいな感じ。どれも受験期におけるデメリット、短期的なものですね。
私と同じで「受験勉強を頑張ること自体が目的となってしまっているけど、自分は頑張れちゃうぜ!」みたいな方々は、これらを(受験における)デメリットだとは感じないはず。なので、そういった方々へ向けて、長期的なデメリットを紹介しておきましょう。これはネットには転がってなかったので必見です(笑)
クセがついちゃう
「手段が目的化されとることの何がダメやねん!頑張る理由は人それぞれでいいだろ!」「受験勉強自体が目的になっちゃってるけど、それでも俺は頑張れてるし関係ないわ!」と思って、1年間の受験期を過ごしたとしましょう。
すると「手段の目的化癖」がついてしまう可能性があるんです。
part2へ続きます。