日本の国技!?大相撲の歴史

皆さん、こんにちは。
突然ですが、日本の国技と聞いて、何を思い浮かべますか?
おそらく多くの方が「相撲」と答えると思います。
現在、東京・両国国技館では大相撲夏場所が開催されており、夕方にNHKなどをつけると熱戦の様子が放送されています。
大相撲は、実際に会場で観戦したことがある方はもちろん、ほとんどの日本人がテレビやインターネットを通じて1度は目にしたことがある競技。
間違いなく日本を代表するスポーツの一つです。
ところで皆さんは「大相撲の歴史」や、「実は正式な国技では無い?」ということを知っていますか?
今回は、大相撲の長い歴史と、意外と知られていない国技にまつわる雑学について紹介していきます。
大相撲の起源と長い歴史
まず大相撲の歴史について紹介していきます。
皆さんの中には「大相撲といえば江戸時代から続く娯楽」というイメージを持つ方も多いかもしれません。
しかし、その起源は神話の時代にまでさかのぼります。
初期の相撲は、現在とは違い農作物の豊作を祈る祭りの一環として行われていたとされています。
その後、平安時代には約300年に渡り宮廷の行事として相撲が行われました。
また戦国時代には武将たちが武士の戦闘訓練の一環として相撲が盛んに行われました。
江戸時代の発展と近代化
約300年も平穏な時代が続いた江戸時代になると、相撲は大きく発展し、相撲を仕事として生きていく者、そしてそれを観戦する者も現れ、勧進(かんじん)相撲が全国に広まっていきました。
そして江戸時代中期には定期的に相撲の場所が開かれるようになり、また谷風、小野川、雷電などの伝説的な力士の活躍もあって、相撲は歌舞伎と並んで庶民の娯楽として人気を博していきます。
明治維新後、一時的に相撲の人気は低迷しましたが、1889年(明治22年)に両国回向院境内に常設の相撲館が建設され、近代スポーツとしての基盤が整い始めました。
その後、1909年(明治42年)には初代両国国技館が完成し、相撲はさらに発展の道を歩みました。
昭和・平成・令和と続く時代の中で、双葉山、大鵬、千代の富士、貴乃花、白鵬、照ノ富士といった数々のスター力士が登場し、大相撲は国民的スポーツとして長く親しまれ続けています。
実は国技ではない!?
街ゆく日本人に「相撲は日本の国技ですか?」と聞くと、多くの方が「相撲は国技」と答えると思います。
しかし!実は、相撲は国技と定められていないのです!
多くの国の国技にはその国の法律で「〇〇を国技とする」と定められています。
ただ日本には相撲に限らず「特定のスポーツ(競技)を国技とする」という法律が存在していません。
それでも、相撲が多くの国民の間で「国技」として認識されているのは、相撲が日本人の心に根ざしたスポーツである証ではないでしょうか?(ちなみに余談ですが日本には、東京を首都と定めた法律も存在しないのです。)
力士になるには?
力士になるには原則として相撲部屋に入門する必要があります。
入門するには23歳未満(大学相撲経験者は25歳未満)、身長・体重などの基準をクリアしなければなりません。
入門後は「序ノ口(最下位)」からスタートし、「序二段」「三段目」「幕下」「十両」「幕内」と昇進を目指します。
十両以上になると給与が支給され、付き人が付くなどの特別待遇を受けることが可能となります。
ちなみに幕内で優勝すると、賞金などを含めて1000万円近くの収入を得られます!
このように力士は夢のある職業ですが、紹介したように厳しい世界でもあります。
まとめ
このように相撲は、長い歴史を持ち、日本人の生活や心とともに歩んできたスポーツです。
現在は東京・両国国技館を中心に、名古屋、大阪、福岡などで年間6場所(初場所、春場所、夏場所、名古屋場所、秋場所、九州場所)が開催されています。
皆さんも機会があれば、ぜひ1度、大相撲を観戦してみてはいかがでしょうか?
最後までありがとうございました。