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Bun

【日本史】明治憲法制定後の政府と議会の変容

2025年4月20日

はじめに

国会開設直後の当時の政治の仕組みは今と異なっており、政府と政党は対立関係にありました。
そんな議会がどのような過程でその関係性がかわっていくのか、今回はわかりやすくまとめていきます!


明治憲法制定後の議会と政府の関係の変化

大日本帝国憲法(明治憲法)が1890年(明治23年)に施行されると、日本の政治制度は大きく変化し、議会(帝国議会)と政府(内閣・藩閥勢力)の関係も大きな変遷をたどりました。

当初、政府(藩閥)が絶対的な権力を持ち、議会との対立が続きましたが、次第に政党勢力が力を伸ばし、最終的には政党政治の時代へと移行していきます。

1. 初期(1890~1894年):「議会 vs 政府」の対立


① 帝国議会の開設と初期の構造

  • 帝国議会は衆議院(公選)と貴族院(皇族・華族・勅選議員)の二院制。
  • 衆議院は選挙によって選ばれるが、選挙権は制限(直接国税15円以上納める25歳以上の男性のみ、全人口の1%程度)。
  • 貴族院は政府寄りの立場が強く、政府と対立する衆議院を抑える役割を担った。
  • 内閣は天皇の輔弼機関(補佐機関)とされ、議会に対して責任を負わなかった。


② 初期の政府(藩閥) vs 衆議院(民党)

  • 初期の衆議院では自由党・立憲改進党(民党)が多数を占め、政府(藩閥勢力)と激しく対立。
  • 民党の主張:「政府の専制を防ぐ」「民意を反映した政治を実現」「軍事費削減・行政改革」
  • 政府の主張:「国家の安定が最優先」「軍備増強が必要」「政党の影響を排除」
  • 予算案をめぐる対立が頻発し、政府はたびたび議会を解散。


③ 予算紛争と衆議院解散

  • 明治憲法では「予算は前年度予算を継続できる」という規定があり、政府は議会の反対を無視できた。
  • そのため、政府は強硬姿勢を取り、議会を何度も解散(第1回帝国議会以降、頻繁に総選挙が行われる)。
  • 政府と議会の対立は続き、議会の発言力は弱かった。


2. 妥協の時代(1894~1900年):政党との協調へ


④ 政府と政党の妥協(1894年)

  • 日清戦争(1894~1895年)が勃発し、国民の戦争支持が高まる。
  • 戦費確保のため、政府は政党との対立を一時的に和らげる必要に迫られる。
  • 1894年、伊藤博文内閣と自由党が妥協し、予算案が成立。
  • 以降、政府は政党と対立するより、協力する方向へと動き出す。


⑤ 憲政党の誕生と初の政党内閣(1898年)

  • 1898年、自由党と進歩党が合流し「憲政党」を結成し、政党勢力が大きくなる。
  • 伊藤博文は憲政党との協調を試みるが、党内の対立もあり、政権運営が困難に。
  • 1898年、板垣退助(旧自由党)・大隈重信(旧進歩党)が連立し、日本初の政党内閣(隈板内閣)を成立。
  • しかし、党内の意見対立や官僚勢力との軋轢から、わずか4か月で崩壊。


⑥ 政党の分裂と政府の主導権回復(1900年)

  • 隈板内閣崩壊後、藩閥勢力が再び主導権を握る。
  • 1900年、伊藤博文が「立憲政友会」を結成し、政党と政府の協力体制を強化。
  • 以降、政友会が議会の多数を占め、政府と協調する形が強まる。


3. 政党政治の発展(1901~1918年):「桂園時代」と政党の影響力増大


⑦ 桂園時代(1901~1913年)

  • 1901年から1913年にかけて、桂太郎(藩閥勢力)と西園寺公望(政党勢力・政友会)が交互に首相を務める。
  • 政府と政党が妥協しながら政権運営を行う時代に。


⑧ 政党の勢力拡大と第一次護憲運動(1912~1913年)

  • 1912年、桂太郎が三度目の首相に就任するが、政党勢力が反発。
  • 「憲政擁護」を掲げた第一次護憲運動(1912~1913年)が起こり、桂内閣が崩壊。
  • 政党が政府に対して圧力をかける力を持つようになる。


4. 政党政治の確立(1918~):「本格的政党内閣の時代へ」


⑨ 原敬内閣(1918年):本格的な政党内閣の誕生

  • 1918年、立憲政友会の原敬が日本初の本格的な政党内閣を組織。
  • それまでの藩閥政治を打破し、政党政治が本格化。
  • 議会で多数を占めた政党が内閣を主導する形に変化。


⑩ 普通選挙制度と政党政治の拡大(1925年)

  • 1925年、普通選挙法が成立し、選挙権が拡大(納税条件撤廃、25歳以上の全男性が選挙権を獲得)。
  • 政党政治がより大衆的なものとなり、政府と議会の関係はより密接に。


まとめ


1890~1894年 「政府 vs 議会(民党)」の対立が激化、議会は抑え込まれる
1894~1900年 日清戦争を契機に政府と政党が妥協、初の政党内閣が誕生
1901~1918年 「桂園時代」:政府と政党が交互に政権を担当し、協調が進む
1918年~ 原敬の本格的政党内閣成立、政党政治が定着

明治憲法施行後、議会は当初政府の従属的存在でしたが、次第に政党が力を持ち、最終的に政党内閣が主流となる時代へと変化しました。


最後に

いかがだったでしょうか?今回は明治を理解するうえでも大切な政府と政党の関係に着目してまとめてみました!

教科書でも飛び飛びで記載されがちですが、この記事を使ってこの分野を完全に理解するようにしましょう!
また、余裕がある人は当時の国際情勢も絡めて勉強してみると更なる発見につながって面白いかもしれません。

Bun

私立高校2年。勉強に役立つまとめなどを発信していきます!

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