【世界史】フランス革命まとめ
世界史
2025年4月18日
はじめに
フランスは当時、戦争で軍事支出が増大したことによる国家赤字が問題となっていました。
そこからどのように革命に繋がっていったのか、そして革命の内容と結果について、わかりやすく解説していきます!
フランス革命の背景
1. 経済的要因
- 財政破綻:ルイ16世の時代、度重なる戦争(特にアメリカ独立戦争支援)で国家財政が悪化。
- 重税と貧困:庶民(第三身分)のみが重税を負担し、生活が苦しくなる。
- 食糧危機:1780年代後半の凶作で小麦価格が高騰し、民衆の不満が爆発。
2. 社会的要因
- 旧制度(アンシャン=レジーム)の矛盾:第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)は特権を享受し、第三身分(庶民)だけが負担を強いられる不公平な社会構造。
- 中産階級(ブルジョワジー)の台頭:経済力を持つ市民階層が、政治的発言権を求めるように。
3. 思想的要因
- 啓蒙思想の影響:ルソーやヴォルテールの「自由・平等・人民主権」などの思想が広まり、民衆が権利を求めるように。
- アメリカ独立革命(1776年)の影響:フランス軍が関与し、革命の理念が国内にも波及。
そもそも旧制度(アンシャン=レジーム)って?
フランス革命前の封建的な身分制度と政治体制を指します。
特徴
1.三つの身分制度(身分の不平等)
- 第一身分(聖職者)→ 免税・土地所有の特権あり
- 第二身分(貴族)→ 高位の官職独占・免税特権あり
- 第三身分(平民・市民・農民)→ 重税・労役の負担、政治的権利なし
2.絶対王政の支配
- 国王(ルイ16世)が権力を独占し、国民の意見を反映しない政治。
3.特権階級(第一・第二身分)の優遇
- 税金を払わず、贅沢な生活を送りながら、平民に負担を押し付ける。
これらを特徴としたアンシャン=レジームはフランス革命を通して崩壊していくことになります。
1.革命の勃発と国民議会
① 三部会の招集(5月5日)
- ルイ16世が財政難を解決するため、175年ぶりに三部会(聖職者・貴族・平民の代表が集まる議会)を招集。
- しかし、投票方式が「身分ごと」に1票だったため、第三身分(平民)は圧倒的に不利だった。
② 国民議会の結成(6月17日)
- 不公平な議決に反発した第三身分は、独自に「国民議会」を結成し、フランス国民全体の代表を主張。
- 「テニスコートの誓い」(6月20日)で、「新しい憲法を制定するまで解散しない」と誓う。
③ バスティーユ牢獄襲撃(7月14日)
- 王が軍を集めて議会を圧力で解散させようとしたため、パリの民衆が反発。
- 武器を求めてバスティーユ牢獄を襲撃し、牢獄の司令官を殺害。
- この事件がフランス革命の象徴となり、革命が本格化。
④ 封建的特権の廃止(8月4日)
- 革命が全国に広がり、地方でも農民が領主の館を襲撃(「大恐怖」)。
- 貴族・聖職者が圧力に屈し、封建的特権(免税・農民からの年貢徴収)を廃止。
⑤ 人権宣言の発表(8月26日)
- ラファイエットらが起草し、「人権宣言」を採択。
- 「自由・平等・人民主権」などの理念を掲げ、革命の指針となる。
⑥ ヴェルサイユ行進(10月5日)
- 食糧不足と国王の態度に怒ったパリの女性たちが、国王の住むヴェルサイユ宮殿へ行進。
- ルイ16世をパリに移動させ、王政の監視を強める。
2. 立憲君主制の時代(1789~1792年)
⑦ 1791年憲法の制定(9月)
- 立憲君主制を採用し、国王の権限を制限する新憲法が制定。
- 立法議会が設置され、国王は象徴的な存在となる。
- 立法議会では立憲君主制の定着を図るフイヤン派といっそうの民主化を求めるジロンド派が対立。主に対外戦争の可否について争われる。
⑧ ルイ16世の逃亡未遂(ヴァレンヌ事件・6月20日)
- ルイ16世が王妃マリー・アントワネットとともに国外脱出を企てるが、途中で発見されパリへ連れ戻される。
- 国王への不信感が決定的になり、王政廃止の機運が高まる。
⑨ 革命戦争の勃発(1792年4月)
- フランス革命を恐れたオーストリア・プロイセンが干渉し、戦争が勃発(フランス革命戦争)。
- 国内の王党派(王政支持者)が外国と結託していると疑われ、国王への批判が激化。
3. 王政の崩壊と共和制の成立(1792~1793年)
⑩ 8月10日事件(1792年)
- パリ民衆がテュイルリー宮殿を襲撃し、国王一家を捕らえる。
- 王権が完全に停止し、立法議会が解散。
⑪ 王政廃止と共和政の成立(9月)
- 新たに成立した国民公会が、王政を正式に廃止し、フランス共和国を宣言。
- 国王は「普通の市民」として裁判にかけられる。
⑫ ルイ16世の処刑(1793年1月)
- 国王ルイ16世が「国家反逆罪」でギロチン処刑。
- 王妃マリー・アントワネットも同年10月に処刑。
4. 恐怖政治(1793~1794年)
⑬ ジャコバン派の独裁(1793年6月~)
- 革命の急進派ジャコバン派(ロベスピエール)が政権を掌握。
- 「革命裁判所」を設置し、反革命派を次々に処刑。
⑭ 恐怖政治の展開(1793~1794年)
- ギロチンによる大量処刑(ロベスピエールの独裁)
- 貴族や聖職者だけでなく、革命の温和派(ジロンド派)や一般市民も処刑対象に。
- 「恐怖による統治」を掲げ、反対派を徹底的に弾圧。
⑮ ロベスピエールの失脚(1794年7月27日・テルミドール9日)
- 恐怖政治が行き過ぎ、多くの革命家や国民がロベスピエールに反発。
- クーデター(テルミドール9日のクーデター)でロベスピエールが逮捕・処刑され、恐怖政治が終焉。
5. 革命の収束とナポレオンの台頭(1795~1799年)
⑯ 総裁政府の成立(1795年)
- 穏健な政治を目指すが、腐敗や内紛が絶えず、不安定な政権が続く。
- 経済混乱や対外戦争の影響で国民の不満が高まる。
⑰ ナポレオンのクーデター(1799年11月9日・ブリュメール18日)
- ナポレオン・ボナパルトがクーデターを起こし、総裁政府を倒す。
- 統領政府を樹立し、実質的な独裁体制を築く。
まとめ
- 1789年:フランス革命勃発(バスティーユ襲撃)
- 1791年:立憲君主制成立(王政維持)
- 1792年:王政廃止 → 共和制へ
- 1793年:ルイ16世処刑 → 恐怖政治
- 1794年:ロベスピエール処刑 → 革命の終息へ
- 1799年:ナポレオンがクーデター → 革命終了
この流れを経て、フランスは絶対王政から近代的な国家へと変わりました。
最後に
いかがだったでしょうか?
旧体制、革命勃発直前の国家情勢を理解し、どのような出来事があって革命が進んでいくのか、しっかりと覚えておきましょう!