【日本史】江戸幕府の三大改革まとめ

はじめに
みなさん、たとえば〝上げ米〟はどの改革で、誰によって行われたかすぐに答えることはできますか?
正解は、享保の改革、第八代将軍徳川吉宗によって行われました。
じつはこの享保の改革が行われる際には財政再建が重視され、それによってこの大名一万石につき100石上納させ、その代わりに参勤交代を半減する上げ米が行われました。
このように、各改革の特徴をつかめば、覚えるのが難しい三大革命も案外覚えることができます!
今回はそんな江戸の諸改革についてポイントと共に解説していきます。
享保の改革
享保の改革は、8代将軍徳川吉宗が1716年から行った幕政改革。
時代背景
・幕府の財政悪化:綱吉の「生類憐みの令」やインフレで財政難に。
・米価の不安定と農村の困窮:年貢負担が増え、百姓一揆や逃散が多発。
・都市の発展と社会問題の増加:江戸の人口増加で治安悪化、武士の借金増。
・幕府統治の課題:法制度が未整備、大名の財政も厳しく統治が不安定に。
1.財政改革
- 上げ米の制(1722年):大名に1万石あたり100石の米を献上させ、代わりに参勤交代の負担を軽減。
- 倹約令:幕府・大名・庶民に節約を奨励し、贅沢を禁止。
- 新田開発:耕地を広げ、年貢収入を増やす。
- 貨幣政策:金銀貨の改鋳を行い、通貨価値を安定化。
2.農政改革
- 足高の制:有能な人材を登用し、役職に応じた俸禄を支給。
- 甘藷(サツマイモ)栽培の推奨:飢饉対策として栽培を奨励。
- 定免法の採用:年貢を一定率にし、農民の負担を安定化。
3.治安・社会政策
- 目安箱の設置(1721年):庶民の意見を幕府が直接聞く制度を導入。
- 公事方御定書の編纂(1742年):裁判基準を統一し、法の整備を図る。
- 町火消の設置:江戸の火災対策として組織化。
結果
この改革により、幕府財政は一時的に安定し、農村も活性化しましたが、年貢負担の増加や物価上昇により、農民の不満が高まり、百姓一揆が頻発する結果となりました。
寛政の改革
寛政の改革は、老中松平定信が1787年から行った幕政改革。
時代背景
・幕府財政の悪化:享保の改革後も財政難が続き、特に田沼意次の政策で経済が混乱。
・天明の大飢饉(1782~1787年):大凶作により多くの餓死者が発生し、農村が疲弊。
・米価の高騰と社会不安:米不足で物価が急上昇し、百姓一揆や打ちこわしが多発。
・武士の困窮:旗本・御家人の借金が増え、生活が厳しくなる。
1. 財政再建
- 囲米の制:全国の大名に、凶作に備えて米を備蓄させた。
- 棄捐令:旗本・御家人の借金を帳消しにし、武士の生活を安定化。
- 商業統制:米価を安定させるために市場介入を強化。
2. 農村復興策
- 旧里帰農令:都市に流入した農民を農村に戻し、農業の再建を図る。
- 社倉・義倉の設置:囲米に際し、農民のために米を蓄える倉庫を各地に設置し、飢饉対策を強化。
3. 社会秩序の引き締め
- 朱子学の奨励:幕府の正統な学問として朱子学を重視し、昌平坂学問所での教育を強化。
- 寛政異学の禁:朱子学以外の学問(陽明学・国学など)を公的な教育機関で禁止。
- 風紀の取り締まり:遊郭や賭博の規制を強化し、奢侈(ぜいたく)を禁止。
4. 言論統制
- 出版統制の強化:「洒落本」や「黄表紙」など風俗を乱す書物を禁止し、思想統制を強めた。
- 民間思想家の弾圧:尊王思想を唱えた山県大弐や、自由な学問を推奨した林子平を弾圧。
結果
改革は一時的に財政や社会秩序を安定させましたが、厳しい統制や経済の締め付けにより反発が強まり、1793年に松平定信は失脚しました。
天保の改革
天保の改革は老中水野忠邦が1841年から行った幕政改革。
時代背景
・幕府財政の悪化:天保年間、米価の変動や戦争支出、浪費などで財政が厳しくなる。
・天保の大飢饉(1833〜1837年):農民の生活が困窮し、社会不安が高まる。
・欧米列強の圧力:開国を迫る西洋諸国の脅威が増し、外圧が強まる。
・貴族・武士の困窮:旗本・御家人の生活苦が深刻化。
・民間の反乱:百姓一揆や打ちこわしが頻発し、治安が悪化。
1.財政再建策
- 株仲間の解散:商人の利益を制限し、独占的な商業活動を規制。
- 上知令:江戸・大阪の直轄化を目指す。
2.治安の強化
- 人返しの法:強制帰農、江戸への出稼ぎ禁止。
- 取り締まりの強化:賭博、酒類、風俗の規制を強化し、治安維持を目指す。為永春水、柳亭種彦の弾圧。
3.結果
財政は一時的に改善しましたが、厳しい規制により庶民や商人の反発が強まり、改革は成功しませんでした。
さいごに
いかがだったでしょうか?
江戸の幕政改革は混ざりやすくて覚えにくいところなので、今一度確認してみましょう!