努力できる環境に感謝せよ
努力できる環境に感謝せよ
どうも、フジです。
今回は、平成31年度の東京大学学部入学式の上野千鶴子氏による祝辞を紹介するとともに、努力できる環境に感謝しなければならないことをお伝えしたいなと思います。
「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。」
これは、上野千鶴子氏による平成31年度の東京大学学部入学式の祝辞を一部抜粋したものです。私はこれを大学生になってから読みましたが、非常に共感できるものだったので、是非高校生の方にも読んでほしいなと思い、ここで共有することにしました。
大学生になってからは「環境」について考えさせられる機会は多くありましたが、高校生の間、私はそれについて考えたことは一度もありませんでした。
そのため「万人に公平に与えられた、人生の賭かっている”受験”というゲームを『頑張りどころだ』と適切に認識して努力を重ね、その結果東大というプラチナチケットを獲得した自分は凄くて偉い」と大学生になりたての私は思っていました。「大学受験は、努力すれば誰だってその努力に見合った対価を得ることができる、超都合のいいゲームなのに、それを頑張りどころだと思えないヤツは雑魚だ」と思っていたんです。
でも、この考え方は間違っていました(当然)。
上野千鶴子氏の祝辞にもある通り、私がこうして努力して東大に合格できたのは、私が偶然そういう環境に身を置くことができていたからなんです。この大学受験を「頑張りどころだ」と認識できたのも、認識後に努力できたのも、全部全部、環境のおかげなんです。
それに気がついてから、自分の傲慢だった態度に恥ずかしさを覚えるようになりました。これを読んでる人の中には、まだ「努力している自分は偉い」的な思考をお持ちの方、いらっしゃるんじゃないかなと思います。確かにこの思考も、努力を続ける上で有効ではあるのですが…、とはいえ心のどこかでは、恵まれた環境下に身を置けたことに感謝していて欲しいなと思うのです。