みなさん、こんにちは!
今回のタイトルを見て、驚いた人も多いのではないでしょうか?
私もこの話をテレビで見たときに、奈良にディズニー!?大阪とかでもなく?と思ってしまいました。(奈良県民の方ごめんなさい)
でも実際に2006年まではあったそうなんです。
それが、「奈良ドリームランド」という遊園地です。
ここからはどのようにして、奈良ドリームランドが開業したのか、全盛期の凄さや、閉園までを紹介しようと思います。
奈良ドリームランド誕生のきっかけ
誕生のきっかけは松岡國三という人が、アメリカのディズニーランドに感動し、ディズニーランドを日本にも作りたい!と思ったことです。
そこで、ディズニー社に連絡してみるも、本気とは受け取ってもらえず、「その時が来れば力になる」との回答が返ってきました。
しかし、松岡が技術者を連れて再び訪れたことで、ウォルトディズニーは、そこまでするならと、ノウハウを無償で与え、建設時にもディズニーから技術者を派遣させました。
この時のディズニー側は、ディズニーランドを日本に作るためにノウハウや技術を与えたのではなく、「日本に独自の遊園地を創るために協力する」という目的でした。
その後、奈良ドリームランド側は、「ディズニーランド」という名前を使用するためにディズニー側と交渉しましたが、ディズニー側は承諾しませんでした。
ディズニー側がディズニーランドだと認めるのは、「ウォルトディズニー・ディズニー・イマジニアリング(ディズニーの遊園地を創る会社)がデザイン・設計を行った」遊園地だけなのです。そのため、ノウハウや技術者の提供をしただけの奈良ドリームランドはその名前を名乗ることはできないのです。
ですが、奈良ドリームランドは広告宣伝で「ディズニーランドの日本版」という表現を多用していました。
ちなみに、日本独自の遊園地を創るために協力したはずなのに、奈良ドリームランドがディズニーランドを模倣し、外観が酷似する遊園地を創ったことは、ウォルト・ディズニーを激怒させてしまい、その後ディズニーランドを日本に誘致する際の大きな障害になったと言われています。
開園後の人気
園内は、ディズニーランドを模倣しているため、「未来の国」や「冒険の国」など5つのエリアで構成されていました。
また、本家ディズニーランドの眠れる森の美女のお城を模倣したお城や、ディズニーランドにあるアトラクションを模倣したジャングル巡航船やメリーゴーラウンド、モノレールなどが創られていました。
日本にはまだこれらのアトラクションは少なかったため、これらのアトラクションは人気を博しました。
高度経済成長期には年間160万人が訪れるほどだったのです!
なぜ閉園したのか
もともと奈良ドリームランドは、少し交通アクセスの悪いところにありました。それでも唯一無二の遊園地だということでお客さんはたくさん来ていました。
ですが、そんな日本にも本物のディズニーランドやユニバが開業してしまいます。ディズニーやユニバの方が交通の便もよく、人がそちらに流れてしまったのです。
それらが開業してからはお客さんは減る一方でした。末期には40万人ほどまで減少してしまったのです。
初めは、休園日は毎週火曜日だけ(長期休みは毎日営業)でしたが、2002年頃からは土日祝のみ(長期休みは毎日営業)となってしまいました。
ですが、遊園地の収益は末期でも夏季のプール営業だけで年間の営業が維持できていたそうです。
ちなみに、跡地はしばらく遊具などが残ったまま放置され、遊園地は荒廃してしまっていました。開発規制区域指定が厳しく、あまり自由に活用することができないため、初めの公売では入札者がいなかったのです。
その後、2015年に再度公売を行い、大阪市の不動産会社1社だけが入札し、買い取られました。ですが、遊具が残っているため、不法侵入者も後を絶たず。
2016年にやっと解体工事が始まりました。現在は、駐車場として利用されています。
最後まで読んでくださりありがとうございました!